《11》 行きたいところへ行ける幸せ
- 樋口彩夏
- 2013年4月1日
- 読了時間: 3分
車の免許をとってから、びっくりするくらい行動範囲が広がりました。
私の住んでいるところは福岡県の中核市ですが、電車やバスなどの公共交通機関だけで十分な移動ができるほど、交通網が発達していません。
さらに、車いすで利用できる交通手段が限られてくるとなると、生活の中で自動車が欠かせない環境です。
身体の都合であまり長い距離は車いすをこげず、体調の悪かった私は、どこへ行くにも誰かに連れていってもらわないと出かけられない生活が9年続きました。
でも、ときには一人で出かけたいときだってありますよね?
そんな生活が続くと、
「一人ではどこへも行けない私って、なんなんだろう。小さな子どもだって自分で動くのに・・・。」
と不甲斐ない気持ちになると同時に、自分ではどうすることもできないもどかしさでいっぱいでした。
“好きなときに、行きたいところへ行ける”なんて、当然のことと思いがちですが、そうではないんですよね。
日常生活の中で、徒歩や自転車、バス、電車、自動車、飛行機など、“移動”する機会はたくさんあります。
でも、それが、障害があるというだけで制限されてしまったら、みなさんの今の生活は成り立つでしょうか?
体調がよくなり、一人で移動できる手段をもった私の生活は、今までの9年が嘘のように大きく変わりました。
ここ数年、「バリアフリー」や「ユニバーサルデザイン」を進める動きが大きくなっています。
しかし、当事者の意見が反映されているところは少なく、実際に“使える”ものは、そう多くないのも現状です。
これまでのブログで、ひと通りの交通手段について書いてきました。
でも、あのようにスムーズに利用できるところは、まだまだ一部でしかありません。
それは、“移動”に限らず、食事や買い物をするお店などにも、同じことが言えます。
エレベーターやスロープなどのあるお店であれば、安心して行けるのはもちろんですが、
多少、入り口に段差があったりするところでも、お店の雰囲気や店員さんの感じのいいお店であれば、また行きたいと思うし、ちょっと頑張って行ったりもします。
そう考えると、エレベーターなどの設備があればOK!という訳ではなさそうな気がしてきました。
“バリアフリー”という言葉をよく聞くようになりましたが、それは何を意味しているのでしょうか?
設備が整えば、障害があっても暮らしやすい社会になる!?
いえ、そうではないと思います。
次回から数回にわけて、“障害の有無に関係なく、暮らしやすい社会”について、私なりに考えてみたいと思います。

イラスト:ふくいのりこ
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