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《150》生きる意味、問い続けた10代 出した答えに込めた思い

  • 樋口彩夏
  • 2020年12月28日
  • 読了時間: 6分

更新日:2024年5月19日

「もう治療はしない」。そう決めたのは、治療が終わって1年ほどたった16歳ごろのことでした。がんの治療計画に対し、QOL( 生活の質 )が軽視された印象を受け、子どもながらに疑問を抱いていました。


生死を前にした現場では、どうしても命を救うことに重きが置かれがちです。確かに、命がなければ元も子もありません。し かし、それだけに力を注ぐのではなく、命が助かった先の人生にも同時に目を向けてほしいと思います。「どんな状態でも、生きてさえいれば、幸せなのか?」。自分自身に死生観を問いかけます。



不思議と死ぬ気がしなかった

14歳でユーイング肉腫(小児がん)を発症した時、一刻も早く治療をと、あれよあれよという間に治療が始まり、化学療法、重粒子線治療、骨髄移植と事が進んでいきました。


1年ちょっと入院している間に、何人もの友人を見送ったのを覚えています。昨日まで元気だったお友達が一転ということもあれば、だんだんと衰弱していく過程を見守ったことも・・・。まだ幼い命が失われていく現実を目の当たりにし、身につまされる思いでした。


次は自分の番かもしれないと不安になる友人が多い中、私は不思議と死ぬ気がしませんでした。悪性度が高く、再発や転移のしやすい病気であることは理解していたにもかかわらず、根拠のない自信があったのです。生きたいと強く思っていたとか、そういう感じではなく、なんとなく今これでは死なないだろうなという感覚的なものです。


無事に治療が終わり、生かされた私は、下半身不随となり、車いすでの生活を余儀なくされました。加えて、排泄(はいせつ)機能もまひしたため、排尿・排便ともに自力では困難な状態の身体を背負っていくことになったのです。


発病前はわりと活発だったので、思うように動かない身体がもどかしくて、障害を受容するまでには時間がかかりました。排泄障害には、人としての尊厳を冒された心境です。



「私だからできる何かを探したい」

「生きる意味って、なんだろう?」。何度、自分に問いかけたか分かりません。当時は車いすに座るのがやっとで、こぐ力もなく、1人ではどこにも行けませんでした。こんな身体で何ができるんだろう・・・。勉強もしたい、学校にも行きたい、友人にも会いたいのに、どれもかなわない。本気で死ぬことも考えました。でも、1人ではベッドから動くこともできない私には、それさえもかないませんでした。


生きたくても生きられなかった友人たちを思い浮かべながら、気持ちを奮い立たせました。まだまだこれからの人生に希望を見いだすことはできなかったけれど、こう考えることにしました。「病気をしたことも、生かされたことも、この身体になったことも、すべ てに意味があるのなら、この経験を生かして私だからできる何かを探したい」



命の長さより質を選ぶ

この時、前を向いて生きていく決意をするために必要だったのが、「もう治療はしない」という決断です。決して、後ろ向きの理由ではありません。私が罹患(りかん)した病気は主治医いわく「タチが悪い」ようで、進行も早く、再発や転移もしやすいものでした。2年以内に再発した生命予後は極めて悪く、治療も期待できないレベルです。原発巣の治療でさえ、体は大きなダメージを受けました。


これからくる晩期合併症も鑑みると、再発したと仮定した時、治療をすることが得策とは、どうしても思えなかったのです。自分の望む自己実現のカタチと再発治療をすることでのQOL低下をてんびんにかけた時、命の長さよりも質を選びました。


今年の9月、リンパ浮腫の入院中に、なんとなく見たテレビドラマ「タイヨウのうた」の少女・雨音薫は、私の思いを体現していました。彼女は、XP(色素性乾皮症)という紫外線に当たれず神経障害が進行すると長くは生きられない病気を抱えています。


ドラマは、人生の目的を見つけられずにいる青年・藤代孝治と、XPという難病を抱えながら前向きに生きる歌手志望の薫が出会ったことから始まる物語が描かれていました。


物語の終盤、薫がボーカルを務めるバンドにデビューコンサートの機会が訪れます。時を同じくして、薫の病状は急激に悪化し始めました。呼吸障害が表れ、気管切開を迫られます。それは、命と引き換えに歌えなくなることを意味していました。


一日でも長く生きてほしいと望む両親。いろんな人とのつながりがある中で自分だけの 命じゃないと迷う薫。夢をかなえて死ぬのと、夢を諦めて生き続けること――。

薫の答えは「歌いたい」でした。薫は、こう言っています。「お父さんとお母さんにもらった人生だから絶対に後悔して生きたくないの。輝いている私を見せることが一番の親孝行だって、そう思うから」



「どうありたいか」を自分に問いかけて

私は、「治療をしなくてもいいんだ」と思えたことで、苦難の終わりが見えた気がして、再び前を向く勇気が湧いてきました。最後まで治療をすることが善と捉えられがちですが、「死」が「生」を支えてくれることもあると思います。


もちろん、どんなに身体が不自由でも、その人らしく生きられる制度設計がなされるべきです。後ろ向きの理由で命を諦めることは、決してあってはなりません。


それを大前提とした上で、「生」だけがすべてではないと思うのです。どう生きるかと同じくらい、尊厳を持って逝けることも、尊いことなのではないでしょうか。


人生の岐路に立つたびに、人それぞれの選択があるはずです。誰かのためでもいい、自分自身の声に正直になってもいい。どんな状況でも、どうありたいかを自らに問い、濁りのない決断が尊重されてほしいと願います。「彩夏の〝みんなに笑顔を〟」――、誰もが 自分らしく、笑顔で生きられる社会を夢見て――。=おわり

イラスト・ふくいのりこ 



2013年1月から始まったコラム「彩夏の〝みんなに笑顔を〟」( http://www.asahi.co m/apital/column/ayaka/ )は、今回が最終回となりました。当初は、文章を書くのが苦手な私に週1回の頻度で連載なんて務まるのかと不安でいっぱいでしたが、気づけば丸8年。頻度が変わりつつもコラムの本数は150本にもなっていました。長期にわたって連載を続けることができたのは、ひとえに読者のみなさまのおかげです。ありがとうございます。


このコラムでは、私の経験を通して、小児がんや車いすユーザーというマイノリティーのリアルを知ってほしいと思うと同時に、同じ境遇の人たちの力になりたいという思いもありました。でも、私の方が、たくさんのご縁や学び、気づきをいただいたのかもしれません。それを糧にして、「いつ、誰が、どんな病気や障害をもっても、笑顔で暮らせる日本にしたい!」を目標に、これからも発信していきたいと思います。私の公式サイト(


末筆になりましたが、連載スタート時からずっと伴走してくださった、ふくいのりこさん、執筆を支えてくださった歴代担当編集者の6人の方々に、心からの謝意を表します。



(アピタル・樋口彩夏)

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