《20》 強いしびれと痛さに恐怖を覚えた
- 樋口彩夏
- 2013年6月10日
- 読了時間: 4分
このコラムがはじまってから、障害にかかわる話題を書いてきました。
しかし、車いす生活になったきっかけである、小児がんの話題をいまだに書けずにいます。
先月末、なにげない出来事をきっかけに 発病当時のことを思い出し、気づけば 涙を流していた、ということがありました。
そのときの 心の動きと それに至るまでの背景について、数回にわけて書こうと思います。
忘れないうちに書いておきたいので、前回 予告した、バリアフリーのハードとソフトについて、は しばらく持ち越し。
病気や治療中のことは、時期を改め おいおい書いていきますが、当時を思い出しながら、振り返ってみます。
先月の5月24日 金曜日、仕事を終えて帰宅した私は、夕食を食べながら 久しぶりにゆっくりテレビを見ていました。
時刻は20時。
チャンネルをかちゃかちゃ回して、手をとめたのは5チャンネル。
その日の気分は、ミュージックステーションでした。
アーティストがステージで披露する歌や司会者とのトークを聞きながら、「今日はこんなことがあったんだ、あんなこともあったよ~。」と、母に今日一日のことを話していました。
ここ2ヶ月は、疲れてぐったりしたまま夕食を済ませると、すぐに眠ってしまう生活だったので、母とゆっくり話すのも久しぶり。
「そんなはずないだろ~ぉ!?」と自分でツッコミたくなりますが、本当にビックリするくらい余裕がなく、いっぱいいっぱいなのです。
「こんなんじゃダメだなぁ、、もうすこし気持ちに余裕をもたないと!」
なんて 心の中で思っていたとき、Mステは最後のアーティストになっていました。
それは、6月はじめの東京ドームコンサートをもって解散をした“ファンキーモンキーベイビーズ(ファンモン)”。
このステージが、音楽番組への最後の出演だったそうです。
10年分の感謝の気持ちを胸いっぱいにかかえ、全力でステージに立つファンモンを見ていると、過去の辛かったできごとと重なり、気づけば 涙をポロポロ流しながらテレビを見ている私がいました。
そのできごとは、10年前にさかのぼります。
2003年、14歳の夏から秋にかけてのことでした。
当時、中学生だった私は、ブラスバンド部でパーカッション(打楽器)をしていました。
木琴や鉄琴などの鍵盤打楽器は苦手で、小太鼓や大太鼓、ティンパニ、ドラムなどの太鼓系か、タンバリンやカスタネット、マラカスなどの小物を担当することが多かったです。
中学1年の後半からはマーチング(歩いたり動きながら演奏をすること)に取り組みはじめ、大小さまざまな大きさの太鼓が5つ繋がった テナードラムという打楽器を担当していました。
太鼓が5つ付いているだけあって、その重さ10kg強。部内で使っている楽器の中でも、1位、2位を争う重さです。
当時、力持ちで通っていた私には、ピッタリとも言えますが。笑
勉強は 授業中にしっかり集中して、それ以外の時間は 部活・部活・部活な日々。
平日はもちろん、土日や夏休みも、朝から閉門時間ギリギリまで、重さ10kg強の太鼓をかついで練習をしていました。
2年生になり、大きなマーチングの大会を6月と9月に控えた私たちは、より一層、練習に気合いが入ります。
7月には、地元の公共施設のオープニングイベントでの演奏。
8月はじめには、毎年恒例となっている「水の祭典」という、地元のお祭りでのステージ演奏も控えていました。
いくつかの本番を前に、部内の雰囲気も熱をもつ中、私の身体には病が迫ってきていました。
異変を感じたのは、7月末。 29日過ぎだったかなぁ。
右側の腰から足先にかけて、電流を流されているようなジンジン・ビリビリしたしびれと、焼けるような熱さを感じるようになりました。
痛みで夜も眠れず、何度も目を覚ましている私を見た母は、「この歳でしびれるのは、おかしい。すぐに病院に行こう。」と、近所の病院の整形外科に予約をとってくれました。
多少の痛みであれば、“病院に行く時間があるのなら 部活に行く!”とはね除けていたと思いますが、今回ばかりは異論なし、素直に病院へ行こうと思いました。
当時14歳だった私は、今までに経験したことのない強いしびれと激痛に恐怖を覚え、夜、暗い部屋でひとり朝を待つのが 怖くて仕方ありませんでした。
それに耐えられなくなった私は、母と弟に「隣にいてほしい」と頼み、診察までの4、5日の間、3人 川の字になって眠っていました。
昼間は、学校が夏休みに入っていたので、お盆休み以外は毎日 部活があります。
歩くのもやっとな身体で 10kg強の太鼓をかかえて動くのは、たいへん堪えました。
そうは言っても、8月4日の本番まで1週間を切っています。
パートリーダーでもあったし、足が痛いからといって休める性格でもありませんでした。
しかし、あまりの痛みに危機感を感じるようになった私は、本番に穴を開けてはいけないという思いから、直前の2、3日、練習量を抑えるようになりました。
つづく・・・。

イラスト:ふくいのりこ
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