《24》 ベッドの上でなぜか穏やかな気持ち
- 樋口彩夏
- 2013年7月9日
- 読了時間: 3分
8月4日 月曜日 のつづき、その3
部活のステージ演奏を終えて 眠りについていたところを激痛が襲い、救急車で病院に運ばれた 私。
付き添ってくれていた母と弟が家に帰ったので、ひとり天井を見つめ、救命救急センターのベッドに横になっています。
そのときの心境は、とても複雑なものでした。
学校や日常という外の世界から切り離された 孤独感と、諦めや開き直りにも似た 安堵感。
相反するふたつの感情が入り混じっています。
当時は 今ほど携帯電話が普及しておらず、大人はけっこうな割合で持っているけれど、中学生で持っている人は 少なくとも私のまわりには1人もいませんでした。
今であれば、「入院することになっちゃった(>_<) しばらく部活に行けないんだ……」と気軽に友人と連絡をとることもできます。
でも、当時は そうはいきませんでした。
両親と先生を介すので、本当に要点のみで行間の想いを伝えることもできないし、実際にみんなに伝わったのかさえ分かりません。
昨日の今日まで、毎日通っていた学校に突然行けなくなったことで、世間の流れから取り残され、ひとり置き去りにされたような疎外感と孤独感で気持ちが沈んでいたのです。
しかし この状況の中、不謹慎にも ホッと安堵している私も それと同時に存在していました。
小学5年生から習っていた、クラシックバレエ。
中学生になっても続けていたのですが、ブラス部に入り マーチングがはじまると、一気に練習量が増えました。
体力的にバレエと部活を両立することができず、中2にあがるとき部活を選んだのです。
でも 重い楽器を毎日かかえるので、腰は痛くなるし、歩くのも辛くなってきた上に しびれまで……
夜は寝ているはずなのに、なぜだか日中も眠たくて仕方ありません。
家で勉強をしたくなかったので 授業だけは真剣に受けていたのに、自らの意に反して居眠りをしていることが増えていました。
身体の不調だけでも十分なのに、このとき精神的な負担も抱えていました。
当時、パーカッション(打楽器パート)のメンバーは、楽しく部活がしたい人と、たくさん練習をして上手くなりたい人に二分していたのです。
そして、3年生のいないパーカッションは技術不足を補うため、福岡の男子校吹奏楽部に指導を仰いでいました。
その高校は全国大会でも金賞の常連校だったので、指導も本格的です。
そうなると ますますパート内の意見が分かれてきて、間にはさまれた私は どうしたものかと悩んでいました。
見かねた高校の先輩からも パートの調和を保つように言われ、お手上げ寸前で踏みとどまっているところでした。
そんなときに訪れた、この状況。
数時間前まで動いていた足なのに、もうピクリとも動かず立つこともできません———自分の身体ではないみたい。
努力ではどうすることもできない現実を前にして、張りつめていた気持ちがプツンと切れました。
“これで休める・・・。”
不謹慎かつ無責任にも、私はそんなことを思ってしまった。
この夜 限りの一時的な感情ではあったけれど、こんなにホッとして穏やかな気持ちになったのは何カ月ぶりだろう?
もしかしたら、はじめてかもしれない。
それほど、私の心は 穏やかな感情で満たされていました。
急患が運ばれてきたりしている救命センターにもかかわらず、その喧噪とは打って変わって、淡~い黄色やオレンジ、ピンク色がふわふわっとしている感じ。
普通なら 不安や恐怖といったマイナスの感情がわいてきそうだけれど、私のまわりを包む空気はとても温かかったのです。
その日の夜、幸せな気持ちで眠りにつきました。
ここしばらくの間 眠れていなかったのが嘘のように ぐっすり眠れて、とてもとても不思議な夜でした。
つづく……

イラスト:ふくいのりこ
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