《27》 伽藍堂のような心に空しさが広がった
- 樋口彩夏
- 2013年7月30日
- 読了時間: 4分
2003年 9月2日 火曜日
さまざまな検査の結果、小児がんの一種であるユーイング肉腫という病名が分かりました。
腫瘍も大きく、大事な神経を複雑に巻き込んでいたので、手術のできる状態ではありません。
まずは、抗がん剤で腫瘍を小さくすることに。
整形外科の病棟から小児科の病棟へ移り、早速、治療がはじまります。
でも、ふたつだけ心残りがありました。
ひとつは、“部活やクラスの友人たちへ、自分の口から事情を説明したかった。”
私が突然たおれ、救急車で運ばれたのは、夏休みの真ん中。
ブラス部のメンバーとは倒れた当日まで会っていたけれど、ほとんどの友人とは1学期の終業式に会ったのが最後です。
当時は携帯電話もなく、それきり友人とは連絡がとれなくなっていました。
1年におよぶ長い治療がはじまる前に、ほんの少しでもいいから学校で友人に会いたかった――。
本心は、友人に忘れられてしまうのが怖かったのです。
学期の途中であれば、“昨日まで元気だったのに”と不思議に思ってくれる友人もいるかもしれません。
けれど、夏休みをはさんでいるので、2学期になったとき、「あれ?樋口きてないな」と一瞬思うくらいで、きっと気づかない人もたくさんいると思います。
だから、自分の言葉で事情をはなし、「治療がんばってくるね!」と伝えたかったのです。
結局、強敵・ユーイングくんを前に、その願いは叶いませんでした。
もうひとつの心残り。
それは、“部活が中途半端におわってしまったこと”。
部活動の引退の時期の多くは、3年生。運動部なら夏前、文化部なら秋口が多いと思います。
3年生は後輩のために終わりを意識した指導をするようになるし、後輩は心を込めて先輩を見送ろうとする。
それぞれの立場でだれかが最後をむかえることに対して、心の準備からはじまり悔いのないようにと行動をしていくことでしょう。
私も1年生のときに3年生の引退を見送る際は、先輩のこれまでの努力をたたえ素晴らしい門出となることを願いました。
部活動をとおして、ひとつの目標にむけて努力し、成果を出す。
いい結果でも思わしくない結果でも、それまでの過程で成長しているはずなので、その頑張りを自ら認めてあげる。
どんなことでもいいから、これは精一杯やった!と胸をはって言えるものがあるということは、今後の自信にもつながることでしょう。
思春期において、このようなプロセスをたどれる部活動は、貴重な体験ができる場のひとつだと思います。
私も当時、勉強はもちろん、部活動にも励んでいました。
マーチングの大きな大会に向けて日々練習を重ね、パートリーダーとしての自覚も芽生えてきた、中2の夏。
そんなとき、私は倒れて、救急車で病院に運ばれたのです。
それきり、家に帰ることも、学校へ行くこともできずに治療がはじまりました。
あまりにも突然のできごとで、心の準備をする時間すらありません。
楽器の引き継ぎだってしていなければ、代わりもいない。
ドラムスティックも楽譜も、なにもかも部室に置いたまま———。
そんな状態で、私の想いを踏みにじるように、強制的に部活動のおわりを告げられたのです。
あれだけ一生懸命やっていた部活。
悔しくて悲しくて、やっぱり悔しくて・・・。
このやりきれない気持ちをどこにぶつけたらいいのか分からず、途方に暮れるしかありません。
治療がはじまってしばらくすると、最初は“悔しい”という感情が大きかったところに別の感情が湧いてきました。
“私ひとりがいなくなったくらいでは、なにも変わらない。
部活のみんなも何事もなかったかのように大会へ出て、賞をとる。
あんなに頑張った日々は、なんだったのだろうか。
当然、世の中だって、当たり前に回っていく。
なんのために、こんなにつらい治療をうけているのだろう、その意義が見出せない“
伽藍堂のような心に、空しさだけが広がります。
つづく・・・。

イラスト:ふくいのりこ
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