《29》 悔しさをバネに一歩一歩
- 樋口彩夏
- 2013年8月14日
- 読了時間: 4分
先週から全国的に、猛暑日の観測が相次ぎました。
ここ数年は毎年、「去年、こんなに暑かったかな〜!?」と思っているような気がします。
みなさまは、体調など崩されていませんか?
思っていたより長くなってしまった「発病当時のふり返り」も、前回でおわりました。
持ち越していた「バリアフリーのハードとソフト」に戻りたいところですが、内容が違いすぎて頭と気持ちが付いていきません。
2回ほど、違うことを書こうと思います。
先月、7月のはじめ、仕事でとても悔しいことがありました。
まだまだ未熟者なので当たり前ですが、自分の無力さを思い知らされ、落ち込んだのち、「よーし、がんばるぞぉ!」と、思い直したところです。
今年の4月に就職をし、働きはじめた私。
詳しいことは書けないけれど、まじめな職業です。
はじめの頃は、電話に出るのも窓口に出るのも緊張の連続でした。
そんな中でも勉強になることは多く、今まで知らなかった新しいことを覚えていくのはとても楽しいことです。
外線電話の着信音が鳴るたびにビクッとし、おそるおそる出ていた電話。
気づけば、ためらうことなく受話器をとれるようになっていました。
7月はじめのある日、午後いちの波が一段落したころに鳴った1本の電話。
「こんにちは。◎◎◎◎の○○係です。」
いつものように、普段より1トーン明るい声で電話に出ます。
お客さまの声色や口調から判断するかぎり、かなりご立腹の様子。
仕事の一環で障害者に提供しているサービスについて、ご不満があるようでした。
どうやら、サービスを受けるために必要な手続きに納得がいかないみたいです。
お客さまのお話をひと通りうかがった上で、あらためて趣旨をご説明することにしました。
最終的にはご理解いただき、丸く収まって受話器を置いたのですが、私の心はモヤモヤしたまま。
それは、会話の中でお客さまがおっしゃった一言によるものでした。
「君たちみたいに平々凡々と働いて健康に暮らしている人には、俺たち障害者の生活なんか分からないんだ!」
お電話をくださったのは、障害をもっている方のご家族でした。
重度の障害者を介護する毎日。
家族までもが病んでしまいそうになる程のギリギリの現状を、切々とお話になりました。
電話口の向こうにいるその方の生活の様子が、ありありと目に浮かんできます。
なぜなら、私も過去に同じような状況に置かれていたから。
私は母に介護してもらう立場だったけれど、精神的に病んでいた私を介護していた母も病んでいく、という悪循環。
電話口の方の状況が、痛いほどよく分かります。
仕事で電話を受けているという立場を忘れ、つい強い共感と理解を示そうとしてしまいそうになる私。
そこはぐっとこらえて、理解を示す程度にとどめます。
すると、前出の「あなたに、俺たちの生活は分からないんだ!」と強い口調の中にも諦めの混じった一言。
「そんなことない!私も・・・・・・。」と、言えるものなら言いたかった——。
私は、健康な身体から突然、障害をもったことで、さまざまな壁にぶつかりました。
それは、精神的なものから物理的なもの、情報がないとか、制度的なものまで多岐にわたります。
その中でも、私たち当事者の生活と行政がつくる制度とのギャップを感じました。
“その溝を埋めたい!
今の私にはまだ何もできないけれど、いつの日か必ず、それができる人になってみせる。”
今回の就職にいたるきっかけは、この想いにありました。
でも、いくら強い想いがあっても、行動がともなわなければ意味がない。
苦しんでいる人がたくさんいる現状を知っていながら、ただ見ているだけ――
そんな自分が腹立たしくて、情けなくて、悔しくて・・・。
今回のできごとは、私の胸に深く突き刺さりました。
この前、6月に閉会した通常国会で、障害者に関する2つの法案が可決されました。
「障害者雇用促進法」の改正案と「障害者差別解消法」。
どちらも、障害の有無にかかわらず健常者と同様の機会を得られるべき、みんな仲良く暮らそうよ♪という内容です。
今の日本には必要な法案かもしれないけれど、こんな決まりごとをつくらないといけない現状って、とっても悲しいことのように思います。
健常者や障害者という言葉はあるけれど、その前にそれぞれ人格のあるひとりの人間です。
どんな立場の人でも、それぞれ困っていることはあるはず。
みんながお互いを思いやって、仲良く暮らせる日本に、世界になってほしいなぁ。
いろいろ私なりの考えもあるけれど、長くなりそうなので、またいつか。
目標を再認識できたことに感謝しつつ、一歩一歩、前に進めるようにがんばります♪

イラスト:ふくいのりこ
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