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《36》 脊髄損傷と私の病気

  • 樋口彩夏
  • 2013年10月28日
  • 読了時間: 5分

先々週、全国脊髄損傷者連合会(以下、全脊連)・九州ブロック会議へ参加してきました。

毎年、九州のどこかの県で行なわれているそうですが、今年は福岡市内のホテルでの開催。

「車いすで生活をする人が、より暮らしやすい社会」の実現へむけて活動をなさっている九州人が、熱い議論を交わす場です。

全脊連の存在は知っていたけれど、参加するのははじめて。

そのきっかけは、佐賀嬉野バリアフリーツアーセンターのみなさんと一緒に製作した「だれでも着やすいユニバーサルデザイン浴衣」の発表会で知り合った、鹿児島県在住の方からお誘いを受けたことでした。

会議は、各県が行なっている取り組みの報告と今後の話し合い。

みなさんの真剣さがひしひしと伝わってくる会議で、どの県の活動も興味深く、あっという間に時間が過ぎていきます。

基調講演は、長崎県議会議員・高比良元氏。

長崎県で平成26年4月から施行されることが決まった「障害のある人もない人も共に暮らせる平和な長崎県づくり条例(通称:障害者差別禁止条例)」の発起人が、高比良議員。

この条例が可決されるまでには、並々ならぬご苦労があったそうです。

条文の“ひとこと”を変えるにしても、その大変さ、その意味の大きさは、私の想像をはるかに越えるものでした。

まだまだ不勉強の私には理解がおよばないこともあったけれど、学ぶことがいっぱいの充実した一日でした。

このコラムにたびたび出てくる、「脊髄損傷(脊損)」。

私にとっては、歩けなくなった原因はちがっても、障害の内容が似ているので親近感があります。

まだ、車いす生活のいろはも分からず、障害を受け入れられなかった頃。

車いすに乗っていても生き生きと輝く、数名の男性に出会いました。

その方々は、みな脊損。

「車いすでも普通の生活ができるんだ!私も、あんな風になりたい!」

その日以来、脊損の方は、ある意味、憧れの存在になったのです。

でも、みなさんにとっては、馴染みのない方のほうが多いのかもしれないと、ふと思いました。

私の障害とも重なる部分が多いので、“両下肢麻痺”とはどういう状態なのか、について触れておきます。

なお、素人が書いているため医学的な正確さには欠けますので、あしからず。

では、人間の身体が動く仕組み。

脳からの「動け!」という指令が、脊髄(せきずい)をとおって手や足に伝わることで、人は動いています。

脊髄(せきずい)は、脳とつながっていて、身体の中心を上下に通る太い神経のあつまり。

脳からの指令はすべて脊髄を介して伝わることから、とても大切な役割をもっています。

脊髄は、一度傷つくと再生することはなく、二度と元にもどらない。

重要だけどデリケートな脊髄は、脊椎(せきつい)という硬い骨の中に大切に収められています。

この関係をなにかに例えるとしたら、私は電線を思い浮かべます。

電線の中にある電気をとおす導体が脊髄で、外をおおっている被覆材が脊椎(せきつい)。

そんなイメージでしょうか。

そして、脊髄損傷とは。

外部から大きな衝撃が加わって、脊髄が傷ついてしまう状態を指します。

衝撃が強すぎて、脊椎は脊髄を守ってあげることができなかったのです。

その原因は、交通事故や高いところからの落下、仕事中のアクシデントなどさまざま。

また、私のように、原因が身体の中から発生することも、ごく少数ながらあります。

私の場合、骨盤にできた腫瘍(がん)に、脊髄の一部を食べられてしまいました。

脊髄が傷つくと、その場所より下は、脳と連絡をとりあうことができなくなります。

そうなると、身体のさまざまなところに影響をおよぼします。

脊髄を高速道路にたとえてみましょう。

“下り線”が通行止めになりました。

脳からの「動け!」という指令が、傷ついたところより下には届かない。

いくら足を動かそうと思っても、その「動け!」が伝わらないので、足はピクリとも動きません。

司令塔と意思の疎通を図る手段がなくなった身体は、どうしてよいか分からず身動きがとれない。

こうして、腰から下、胸から下、首から下が動かないという状態になり、私の下半身は麻痺しているのです。

“上り線”も通行止めになりました。

壁に足をぶつけちゃった・・・「痛い!」

この「痛い!」という感覚も、脳へは伝わりません。

爪で引っかいても、足に物が落ちてきても、画びょうを踏んでしまっても、痛みを感じることができないのです。

痛みがないってことは、苦しまなくていいじゃん♪ ――そんな甘いことではありません。

人は痛みを感じることで、ケガをしてもすぐに気がつき、大事にいたらずに済んでいます。

感覚がないということは、足の裏など見えないところであれば、ケガをしても気がつかない。

知らぬ間にバイキンに感染して、足を切断しなければいけなくなる ――そういうことにもなり得るのです。

最後に、自律神経。

これは、呼吸や体温、血圧、消化、排泄など、生命を維持することにかかわっています。

私たち人間が、「息を吸うぞー」などと特に意識をしなくても生きていられるのは、このカタのおかげ。

身体のどこが悪くても、それぞれに不自由があると思います。

その優劣は個人の価値観で変わりますが、私の場合。

足が動かない、感覚がないなどのもろもろ以上に、排泄障害に頭をかかえ、悩みました。

それは、この障害をかかえてから10年が経った今でも、現在進行形。

端から見ていると、目に見える「歩けない」ということへ、どうしても意識がいくことでしょう。

でも私にとっては、毎日の生活も、そのモチベーションをも左右する大きな問題なのです。

脊髄損傷(脊損)といっても、脊髄の切断された場所や程度によって障害はさまざま。

ひとくくりに言うのは無理がありますが、歩けないというだけでなく、いくつもの障害が複雑に重なり合っている状態にあるということに変わりはありません。

なんとなく、お分かりいただけましたでしょうか?

脊損の方と私、それぞれ麻痺した原因はちがっても、結果として抱えている障害はとても似ています。

しかし、いわゆる脊損という枠に、私は含まれないことが大半です。

だからといって、障害ゆえの悩みを、小児がん患者の仲間とは共有できない。

小児がんは白血病など、身体の動きには支障のない場合がほとんどなので、それは仕方のないことでもあります。

次回は、“車椅子で生活をする障害者”と“小児がん患者”、その間で揺れる私の気持ちについて。

イラスト:ふくいのりこ 


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