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《37》 足の動かない私でも乗れる自転車

  • 樋口彩夏
  • 2013年11月6日
  • 読了時間: 3分

前回「《36》 脊髄損傷と私の病気」で脊髄損傷者(脊損)と私の障害は、原因こそ違えど似ているところがあるということを書きました。

私にとって脊損の方は、ある意味、憧れの存在です。

まだ車いす生活のいろはも分からず、障害を受け入れられなかった頃。

車いすに乗っていても生き生きと輝く、脊損の男性に出会いました。

「車いすでも普通の生活ができるんだ!私も、あんな風になりたい!」

私が前を向くきっかけになった、大きな出会いとなります。

その出会いは、小児がんを発病して障害を負ってから7年が過ぎた、2010年2月。

福岡県を拠点に活動をしている、ハンドバイククラブの練習を見学したときのことでした。

ハンドバイクとは、手でこぐ3輪の自転車。

普段乗っている車いすにとりつけると、車いすが自転車に変身するという優れものです!

ほかにも、レース用でかなりのスピードがでるハンドバイクなどもありますが、ここでは割愛。

ハンドバイクの見学へ行った動機は、車いす以外の移動手段を求めてのことでした。

抗がん剤や移植などの治療で体力の落ちた私は、車いすをこぐのも一苦労。

その動作を積み重ねることで、治療でもろくなった骨盤は疲労骨折を起こします。

骨というと、硬いイメージが先行しがちですが、本来、硬さと柔軟性を合わせもっています。

しかし、私の場合、重粒子線という放射線治療をした影響で、骨の柔軟性が失われました。

たとえば、黒板に文字を書くときに使うチョーク。

ちょっとした衝撃でパキンッと折れてしまいますよね?

柔軟性を失い普通以上に硬くなった私の骨盤は、まさにチョークのような状態なのです。

骨折をしたら、ボルトやプレートで骨を補強するのが一般的。

でも、このチョークのような骨盤にボルトを埋め込むと、補強どころかボロボロと骨が崩れてしまいます。

一度折れると、繋ぐこともできないほどもろいので、また寝たきりの生活へ逆戻りすることにもなりかねない。

そのことから、骨盤に負担をかける動作や衝撃、振動は避けなければなりません。

あまり車いすをこぐことができず、どこへ行くにも誰かに連れて行ってもらわないと出かけられない状況でした。

徒歩10分の最寄り駅までも、ひとりで行くことができなかったのです。

私は、当時20歳。

すこし遅れながらも、大学進学を考えていました。

そのためには、ひとりで通学できる方法が必要!

やりたいことと残された身体の機能とのミゾを埋める方法を探していたのです。

一番の理想は、車の運転ができようになること。

私は14歳で発病してからずっと、痛み止めとして、医療用麻薬の中のオピオイド鎮痛薬を大量に使っていました。

その中でも、モルヒネと言えば、聞きおぼえのある方もいるかもしれません。

いろいろ使ったけど、一番長く使っていたのはフェンタニル系の薬。

それ系の薬は、自律神経にも作用します。

痛みで緊張する交感神経の働きをおさえ、リラックスできるように副交感神経の働きを高める。

そうすると、副作用として眠気がでてきます。

車を運転しているときにウトウトなんて危ないので、自動車での移動は断念しました。

残るは、公共交通機関を利用する方法。

駅まで行くことができれば、なんとかなる!と考えました。

病気になる前、元気に歩いていた小中学生のころ、私の移動手段は、もっぱら徒歩と自転車。

徒歩(車いすをこぐ)がダメなら、自転車だ!

そんな単純な発想から、足の動かない私でも乗れる自転車を探しはじめたのでした。

イラスト:ふくいのりこ 


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