《58》 小児がんと車いすと、私の葛藤
- 樋口彩夏
- 2014年4月26日
- 読了時間: 4分
昨年の1月末からはじまった本コラムも、1年3カ月が経ちました。
回数にして、58回。
文章を書くことが大の苦手だった私が、毎週毎週、書き続けられていることに、正直、驚きを隠せません。
これもひとえに、読んでくださっているみなさまの存在と、編集部・イラストレーターさんが支えてくださっているお陰です。
今から1カ月前、これまでのスタンスで原稿を書くことに、迷いと葛藤を抱くようになりました。
「車いすユーザーとしての私」と「小児がん患者としての私」。
それぞれの視点から感じる想いを織り交ぜつつも、一般的な主張を代弁することを意識してきました。
車いすユーザーの生活や小児がん患者の現状は、あまり世間に知られていません。
知らないからこそ生まれるミゾや偏見、心のバリアがあると思います。
私の経験や想いを書くことで、すこしでも身近に感じてもらえるのなら、それほど嬉しいことはありません。
それが叶うのであれば、自身のことは何でも書く心持ちでいたつもりです。
しかし、自らの想いを書くことは、とても勇気のいることでした。
自信を持てなかった私は、あえて「小児がん」と「車いす」のレッテルを貼り、一般論へ逃げていたように思います。
それ以前に、ひとつの事柄だけをとっても、人それぞれ思うこと、考えることは違います。
車いすに乗っている人が、みんな同じ考えかと言えば、決してそうではありません。
小児がん患者だって、そうです。
私個人が、両者における一般論を述べ続けるのは、到底、無理であることに気が付きました。
また、自らに「車いす」や「小児がん」のレッテルを貼ることは、私の抱く“伝えたいこと”に背を向けていることにもなります。
障害者やがん患者である前に、ひとりの人間です。
障害や病気を理由に教育が受けられないとか、就労に困るなんてこと、あってはなりません。
障害者だから、手伝ってもらって当たり前。何かしてあげないといけない。
そんな思考にいたるのも、おかしなことです。
そもそも、私の想いは、下記に尽きます。
「病気や障害なんて、関係ない。
この世に生を受け、学び、働き、老いてゆく――。
一生をとおして、誰もがいきいきと、笑顔あふれる幸せな人生を歩める、そんな社会であってほしい」
病気や障害なんて関係ないと言っていながら、それらに執着していたのは、他でもなく私自身でした。
今まで、小児がんの話題に踏み込めずにいたのには、理由があります。
それは、一般的な小児がん患者と私の想いに、大きな違いがあるからです。
ある課題に対する結論は同じだとしても、そこへ至るまでの経験や考えに相違があると思うと、どうしても一般論に自分の想いを寄せて書くことができませんでした。
これからは、「車いすの、小児がん患者の私」として一般論を書くのではなく、「樋口彩夏」としての想いを書いていこうと思います。
車いすユーザーであること、小児がん患者であることに興味を持ってもらえるのは、それはそれで嬉しいことです。
しかし、記事の中身に興味を持ってもらえることが、本来の姿であるように思います。
それを書いているのが、たまたま車いすユーザーだった、小児がん患者だった、という風になれるのが理想です。
その人を修飾するものに注目が集まるのではなく、その人自身を見られるようになることが、病気や障害の有無に関係のない、フラットな社会への一歩になるのではないでしょうか。
しかし、車いすユーザーや小児がん患者特有の苦労も知ってほしいところです。
甘えや言い訳としてではなく、建設的に考えるための土台として、それぞれの現状も今までどおり書いていくつもりです。
あれ!? 病気や障害に焦点を当てる・当てないって、相反しているような……。
う〜ん、記事を書くって、むずかしい!
とりとめもなく書きましたが、最近の私の心境でした。
本コラムの終わりを匂わす冒頭になってしまいましたが、これまでどおり、素直に一生懸命、書いていきます。
あらためて、どうぞよろしくお願いいたします♪

イラスト:ふくいのりこ
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