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《116》度重なる「骨折」はなぜ どう向き合えば・・・

  • 樋口彩夏
  • 2017年4月24日
  • 読了時間: 5分

更新日:2024年5月18日

骨盤の真ん中にある「仙骨」に発生したユーイング肉腫(小児がん)の晩期合併症で骨盤を骨折してしまった私は新年度 早々、1ヶ月の自宅療養を余儀なくされま した。「食事とトイレ以外は座位厳禁!」 という指示のもと、寝たきりの生活を送っ ています。「早く復帰したい」という気持ちもあるけれど、度重なる骨折で諦めにも似た感情も同居し、複雑な心境です。


骨折の引き金になったのは、日常の些細な動作でした。ベッドから車いすへ移ろうと起き上がる途中、仙骨付近から「パキッ」という乾いた音が聞こえたのです。でも、そのときは異音だけで痛みはなく、骨が定位置に 収まっていないような違和感を覚えたくらいでした。2日ほどで違和感も消え、普通の生 活に戻ること1週間・・・。今度は何がきっかけか分からないけれど、突然の激痛で動けなくなってしまいました。数日の安静ののち、CTで「骨折」の診断に至ったというわけです。仙骨は、脊椎の真下に位置した骨盤の中心であり、とても重要なポジションを担っ ている骨でもあります。




「病的骨折」とは?

なぜ、ごく普通の日常動作で骨が折れてしまうのでしょうか。「骨盤ユーイング肉腫加療後病的骨折」という診断名から、主治医の解説をもとに読み解いていきたいと思います。


俗に言う「骨折」の性質には、大きく分けて3種類あると言われています。1つ目は交通事故や転落など外的な力が加わることによる「外傷性骨折」、2つ目は一定の圧力が繰り返しかかることによって起こる「疲労骨折」、3つ目は正常な強度をもっていない骨、すなわち病的な状態にある骨が、普通なら骨折を起こさないような軽微な1回の外力によって折れてしまうことを「病的骨折」と称します。


私の場合は3つ目の病的骨折にあたりますが、骨が病的な状態になった原因は、14歳のときに罹患(りかん)したユーイング肉腫(小児がん)に対して行った「重粒子線治療」にあると主治医は説明していました。




重粒子線の効果の影には・・・

重粒子線の特徴の中には、(1)ピンポイトで腫瘍を狙える集積性の高さと、(2)強い殺傷能力が挙げられるそうです。


当時、骨盤の中心に位置する仙骨は周辺の神経なども含め、広く「がん」に侵されていました。叩きたい腫瘍と残したい臓器(仙骨)が同じ場所に存在している状態です。そこへ重粒子線を照射すると、腫瘍に対して抜群の効果を発揮すると同時に、仙骨へも大きなダメージを与えることになるそうです。


重粒子線があたった骨はどうなるかというと、文字どおり「死んで」しまいます。もともと骨がもっている硬度や弾力性、再生する力など、すべてが失われることになります。主治医は、そんな私の仙骨を「チョーク」のようだと説明しました。落としたらすぐに折れてしまい、強めの筆圧で黒板に押し付ければ先端はボロボロと崩れていく――。最初に聞いたときは半信半疑だったけれど、今では実感をもって「まさにチョークだ」と合点がいきます。仙骨に上半身の荷重がすべてかかることを鑑みると、折れるのも無理もないのかもしれません。


治療によってボロボロになった仙骨は、画像診断にも支障をきたしていました。


「彩夏ちゃんの仙骨、こんなにスカスカだったっけ? どこもかしこも折れているように見えてくる・・・。ここなんて、風前の灯で繋がっているようなものだし・・・」


骨折の診断をする際、本来であれば、今回撮影したCT画像を見れば骨折の有無を判別できるらしいのですが、私の場合はそれが困難なため以前の画像と比較しなければ診断すらできないのだそうです。


しかし、「折れる」ことよりも、「治らない」ことの方が厄介です。普通の仙骨が折れたのであれば、プレートやスクリューなどの金具で補強するのが一般的ですが、そんなことをしようものなら施術箇所からボロボロと崩れてしまいます。それほどにまで脆い仙骨には、手の施しようがありません。よって、今、私が置かれているのは「治すことはできないけれど、まずは痛みが引くまでおとなしくしましょう」という、なんとも歯切れの悪い現状です。




生活の見直し

しばらくの安静を経て日常へ戻ることを考えると、不安しかありません。今までと同じ生活に戻れば、ふたたび骨折してしまうと、目に見えているからです。


13年前、小児がんの治療が終わったとき、歩くことを諦め、車いすの生活を受け入れました。パラスポーツにも興味があったけれど、この仙骨ではできるはずもありません。


2年半前、はじめて仙骨が折れたとき、自分の手で車いすをこぐことを諦めたのは、とても大きな決断でした。闘病中をはじめ、寝たきりの生活も長かった私にとって、「車いすをこげる」ということは自尊心を保つための大きな要素だったのです。さらには、日々の活動の中から、なるべく横になって腰を休める時間をつくる努力も行ってきました。


これからの私にできることといえば、骨折を繰り返さないよう仙骨への負荷を極力減らすことに尽きるのでしょう。けれども、これまでにも様々な対策を講じてきたので、もうこれ以上、生活のどこを見直せばよいのか、見当もつかないというのが正直なところで す。


おおもとの病気は治っても、このような晩期合併症はいつまでも付いてくるのです。それらとどう向き合っていくかで、その人の真価が問われるのかもしれません。


イラスト・ふくいのりこ 



<アピタル:彩夏の〝みんなに笑顔を〟>

http://www.asahi.com/apital/column/ayaka/ (アピタル・樋口彩夏)


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