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《121》「キャットセラピー」で気持ちを前向きに!

  • 樋口彩夏
  • 2017年10月30日
  • 読了時間: 5分

更新日:2024年5月18日

我が家に猫がやってきたのは、昨年の秋のことでした。


これまで動物を飼った経験がない私に は、初めてのことや分からないことの連続です。試行錯誤の数ヶ月を経て、猫がいる暮らしがすっかり日常のものとなりまし た。



猫を飼おうと思ったきっかけは、昨年の体調不良です。当時私は、絶不調でした。 様々な症状は、のちにリンパ浮腫からくるものだと分かったものの、春に始まったむくみや頭痛、めまいなどは、夏になっても治る気配はありません。入院や通院での原因探しが続きました。


外出もできず、家にいる時間が長くなるにしたがって気分も滅入るようになり、このままでは良くないと思うようになりました。


気持ちが明るくなる「何か」を探していたときに思い浮かんだのが「猫」だったので す。昔から猫は好きでしたが、世話や住環境など飼うためのハードルを考えると、実際に飼うには至りませんでした。


けれども、念願の猫がいれば体調不良も乗り切れると思うと、気持ちが揺らぎます。動物を飼う責任を考慮したうえで、猫を迎え入れる決断をしたのでした。



それでも残る不安要素は、車いすと猫の相性です。予測不能かつ俊敏な動作の猫を車いすで踏んでしまわないか、車いすを怖がりはしないだろうかという心配をよそに、猫はとてもよくなついてくれました。車いすに座っている私の膝に乗るのが好きなようで、お気に入りスポットとして定着しています。


自由奔放に家の中を歩き回る猫ですが、どうやら空気を読む達人のようです。飼い主の気持ちを知ってか知らでか、ベッドで臥せってばかりいる私に猫は寄り添ってくれるのです。車いすで具合が悪そうにしていればピョンと膝にのってきて顔を覗き込み、ベッドで寝ていれば添い寝をする――。


人間の勝手な解釈かもしれないけれど、まるで「大丈夫? 元気を出して」と言ってくれているようで、気持ちが救われます。



年が変わって今年の春、 小児がんの晩期合併症で骨盤を骨折し、ベッドでの生活を強いられたときにも、存分に癒し効果を発揮してくれました。


痛みによって寝返りすらままならない日々に、「どうせ、また折れるんだし、どうにでもなれ」と何度も投げやりになりかけました。


そんなときでも、猫の無垢な瞳でじーっと見つめられると、自然に心が軌道修正されるような気がします。精神的に大きく荒れずに済んだのも、少なからず猫も貢献していたのだと思います。



また、具合が悪いのを紛らわせてくれるだけでなく、嫌なことに向き合うときにも背中を押してくれるようになりました。私の場合、排泄機能にも障害があるため自力で排泄をすることは困難で、とくに排便は大きな問題です。洗腸といって、週に一度、2リットルほどのぬるま湯を注入して上行結腸以下を洗浄する手法をとっているので、普通の人の何倍も時間と労力を要し、精神的にも肉体的にも消耗する「トイレの時間」は数時間に及び ます。


これが嫌で嫌で、つい「忙しい」とか「観たいテレビがある」などと、くだらない理由を並べて先送りにしがちでした。

イラスト・ふくいのりこ 



でも、いつのころからか、振り返れば、そこに猫がいるのです。はじめは単なる偶然 で、気まぐれで見にきたのだろう、くらいにしか思っていませんでした。それでも猫は 「トイレの時間」の度に私を見守っているようなのです。直前まで遊んでいても、寝ていても、ご飯を食べていても、わざわざやってきて、1時間でも2時間でも、ひたすら傍にいてくれます。


私は猫の顔を見れば励みになるけれど、猫にとっては見ていて楽しいものでもないだろうに、とっても不思議です。猫が私を見守る場面は、トイレの時間だけではありません。 週に1度の尿道カテーテル交換や足の爪切り、リンパマッサージ、車いすのメンテナンス...。


健常に動く手などに関することには無関心ですが、私の身体の悪い部分に関することは徹底して見守ってくれています。



これらをはじめとした猫の行動に触れていると、人間にはない「感知能力」があるのではないかと思わされます。その能力は、保護センターから家に来たその日から発揮されていました。


母や弟の足にはためらわずに容赦なくちょっかいを出す一方で、私の足には一度たりとも手を出したことがありません。クンクンとにおいを嗅いで様子を見ると、いたわるかのようにペロペロと舐め、明らかに扱い方が違います。


さらには、激しい遊びのときは母と弟に、静かな遊び(かくれんぼ)となでてほしいときは私にといった具合に、要望に応じて人を選ぶのです。かくれんぼも、車いすの私が見つけられる場所に限りがあることを察しているらしく、無理なく見つけられて迎えに来てもらえる場所にしか隠れません。


言葉での意思疎通ができないにも関わらず、これだけのことを察知できるのは動物の本能が成せる技なのかもしれません。


高齢者施設や障害者施設、病院などでは、アニマルセラピーとして動物が派遣されたりしています。今まで動物にあまり関心のなかった私は、「動物に癒される」という感覚 がよく分かりませんでした。しかし、私自身が毎日、猫に癒されていることを考えると、 妙に納得してしまいます。


病気と長く付き合っていくうえで、「前向きになれる何か」は必要不可欠です。その「何か」は人それぞれですが、自分の頭が嫌なことで埋め尽くされる前に、「前向きにな れる何か」を見つける工夫や努力をしてみることも大事なのだと、猫と暮らす日常から気づかされました。



<アピタル:彩夏の〝みんなに笑顔を〟>



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