《53》 あなたの小さな行動が、偉大な変化につながる
- 樋口彩夏
- 2014年3月11日
- 読了時間: 5分
ここ数年の間でバリアフリーな設備は、ぐんと増えてきました。
駅や商業施設にあるエレベーター、多目的トイレ、歩道の点字ブロック、駐車場の身障者スペースなどなど。
挙げれば、切りがありません。
その広がりに合わせて、私自身、生活の幅も広がり、とても有り難いと思っています。
しかし、これらの設備は、使う人の心がともなうことで初めて、本来の価値が生まれます。
ただ、造ればいい――。
それだけでバリアフリーになる、というものでは決してありません。
「設備+こころ=バリアフリー」
その設備を必要とする人が、きちんと使える状態にあってこその物なのです。
モラル――。
個人の判断にゆだねられる部分ではあるけれど、嘘をついてはいけない、人を傷付けてはいけない等、ほぼ普遍的な考え方を指します。
バリアフリー設備を生かすためには、人々のモラルが重要です。
私が生活の中で遭遇した、そんな出来事を、エレベーターを例に挙げてみます。
電車に乗って、駅に併設された商業施設と百貨店に買い物へ行った、ある日。
週末でにぎわう中、3基ならんだエレベーターは、どれも列を成していました。
ひらいた扉の奥に満員の人がのぞいては閉まり、エレベレーターは再び動き出します。
それがくり返される内に、しびれを切らしたのか、エスカレーターや階段へ人が流れはじめました。
歩くことができず車いすに乗っている私には、代替手段がありません。
エレベーター“しか”使えないので、素直に順番がくるのを待っていました。
たまにスペースが空いていても、車いすが収まりそうにないときは、譲ったりしながら――。
しかし、待てど暮らせど、エレベーターへ乗られそうにありません。
中にいる人は、私と目が合うと、決まって、うつむきながら目をそらします。
何回、エレベーターを見送ったのだろう……。
このとき、人間の冷たさ、他者への無関心さ、自己中心さといった悲しい一面が、まざまざと見てとれました。
世の中、こんなもんだよな……と、自分に言い聞かせていると、ひとりの男性が手招きをしながら出てきます。
「ここに乗らんね~、代わっちゃろ~」(ここは、九州です。)
すると、周囲の人もぞろぞろと降りてきて、スペースを空けてくれたのです。
人の黒い一面――。
障害者という立場上、そんな姿を見る機会も多いので、人や社会の温かさにふれると、とてもうれしい気持ちになります。
人も社会も、捨てたものじゃないなぁって。
でも、こういう光景を見ると、人って、弱いなぁとも思ったりします。
私から目を逸らすのは、きっと後ろめたい気持ちがあるから。
車いすの子が待っている姿を、見て見ぬふりをすることに、多少なりとも罪悪感があるのかもしれません。
なにか行動を起こしたいけれど、なにをしたらいいのか、分からない。
そんな気持ちの表れではないでしょうか。
そこに、場の流れを変える人がひとり。
すると、「こうすれば、よかったんだ!」と言うかのごとく一斉に動き出す、その他大勢の人々。
このことから、ひとりだけ突飛なことをしたくない、集団の中に収まっていたい日本人の気質を感じました。
こんなに簡単なことなのに、実際に行動するには高いハードルがあるなんて、切なすぎます。
エレベーターは、もちろん、だれが使ってもよい便利なものです。
重い荷物を持っている、小さい子供を連れている、足腰に不安がある、骨折した、今日は階段を登る元気がない、エスカレーターが苦手、などなど。
理由はどうあれ、使いたい人が使えば良いと思います。
しかし、車いすユーザーは、エレベーターしか使えないのです。
ほかの方法でも移動のできる人で満員、という理由で待ちぼうけなんて、おかしな話ではありませんか?
“そこしか使えない人がいる”ということも、忘れてはなりません。
ここに、“モラル”が存在するのではないでしょうか?
多目的トイレや駐車場の身障者スペースにも、同じことが言えます。
車いすやオストメイトの人は、多目的トイレしか使えません。
なぜなら、広いスペースや特別な設備が必要だから。
広いスペースに出入口近くという好立地に設けられた、車いす用駐車場。
そこは、車いすユーザーのためにあります。
なぜなら、乗り降りの際、車いすを自動車に横付けするスペースが必要だから。
普通の駐車場は幅が足りないので、停めることができないのです。
よって、そこしか使えません。
あえて選択肢を狭めているわけではなく、そこしか使えない理由があるのです。
街にあふれた、さまざまなバリアフリー設備。
一体、だれのために造られているのでしょうか。
それぞれに必ず、“そこしか使えない人”がいるはずです。
障害の有無に関係なく、みんながそこに思いを馳せることができれば――。
きっと、やさしい社会になるんだろうなぁ。
先週、ロシア・ソチでパラリンピックが開幕しました。
東京での開催も、6年後に迫っています。
ハード面での整備を進めると同時に、私たちの心も豊かにしていかなければなりません。
エレベーターを待っているのが私ではなく、世界各国から来たパラリンピアンだったとしたら……
選手たちは、どのような気持ちで自国へ帰っていくのでしょうか。
佐藤真海選手に「車いすだとしたら、日本で暮らしたくない」と言わしめる現状が、日本にはあります。
そのことに、正面から向き合っていく必要があると思います。
「お・も・て・な・し」という言葉だけを一人歩きさせるのではなく、中身のともなった言葉であってほしいものです。
あなたのモラルで笑顔になれる人、たくさんいるのではないでしょうか?

イラスト:ふくいのりこ
Kommentit