《70》 「当たり前な日々」の幸せ
- 樋口彩夏
- 2014年8月13日
- 読了時間: 3分
平日の朝、布団から出るのをしぶっているところに、友人の訃報が入りました。
彼が患っていた病気は私と同じ、ユーイング肉腫です。
享年26歳。
度重なる再発・転移のために長い長い闘病生活を送った末、この世を去ってしまいました。
静かに涙を流しながら朝食をとって出勤前の身支度を進めているとき、テレビから流れるニュースを見て、より複雑な心境になりました。
「ファイヤーチャレンジ、アメリカの若者に流行の度胸試し」
これは、自らの身体にアルコールをかけ、ライターで火をつけることで度胸を試すというものです。
火だるまになって消火するまでの様子を撮影して動画サイトへ投稿することが、アメリカの若者の間で流行っているそうです。
すぐに火を消せるようにお風呂場のシャワーの下で行なうそうですが、それでも火傷で救急搬送されるケースが後を絶ちません。
さらには、死亡事故も起きています。
薄笑いを浮かべながら自分の身体に火をつけている様子は、異様な光景でした。
「防衛大のいじめ」
自衛隊の幹部自衛官を養成する教育機関である防衛大学校。
そこで常習化したいじめの実態が、在校生の告訴によって明るみに出たニュースです。
上級生から「指導」という名のもとに行なわれる「いじめ」は、非人道的なものでした。
腹部に全治3週間の火傷を負うような暴行を加える肉体的なものから、精神的な苦痛を与えるものまでが、日常的に行なわれていたとのこと。
また、原告の少年が進級すると、今まで上級生から受けていた“指導”もとい、いじめを、下級生へ行なわなければならない環境でもあったというから、ぞっとします。
人の命を軽んじた二つのニュースを見て、悲しさと怒りが込み上げてきました。
どんな理由であろうとも、自分の身体を傷つけてはいけません。
それで度胸を測ろうなんて、もってのほかです。
自分の身体だから傷つけてよいなんてことはなく、そのことで悲しむ人が誰にだって必ずいるはずです。
十分に考えもせず、仲間内のノリだけで安易な行動をとってしまう心の貧しさには、哀れみすら感じました。
ましてや、他人を傷つけても胸が傷まないほどに感情が麻痺してしまうなんて、悲しいことです。
いじめの加害者も、最初は自分を守るために仕方がなく暴行に及んだのかもしれません。
しかし、それに慣れてエスカレートし、加害者心理に支配されてしまうところに、人間の弱さや醜さを垣間見たように思います。
私たちは、今、生きていること、明日が来ることを「当たり前」と思ってしまいがちです。
けれども、けっして当たり前ではなく、尊いことであるという事実を忘れてはなりません。
今まで小児病棟で出会った友人を、幾人か見送ってきました。
生きたくても生きられない人がいる中で、私は、今もなお、生かされています。
数日前、発病後11年を迎えました。
節目の日と友人の死をきっかけに、あらためて自分へ問いかけます。
今の私は、彼らに恥じない生き方ができているのだろうか。
死後、胸を張って、彼らと再会することができるだろうか。
健康でいられること、家族や友人がいてくれること――。
当たり前とか普通という言葉に隠れがちな幸せを感じられる心を、いつまでも持ち続けたいと、改めて思いました。

イラスト:ふくいのりこ
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