《43》 東京オリンピック・パラリンピックの心配
- 樋口彩夏
- 2013年12月26日
- 読了時間: 3分
先週のはじめ、東京へ行きました。
車いすを使っての宿泊、そして電車での移動。
その時、こう思いました。
「7年後の東京オリンピック・パラリンピックは、大丈夫なのだろうか・・・?」
パラリンピックには、きっと多くの障害者がやってきます。
はっきり言って心配です。
その前に、上京した目的は?
それは、小児がん支援のカタチを考える会議に出席することでした。
日本対がん協会(がんの啓発活動をしているところ)と日本フットサルリーグ(通称:Fリーグ)の主導で立ち上がった、「フットサルリボン」という名称の基金。
がんの予防啓発と小児がん支援に使われます。
そこで、前出の2団体に、小児がんと関わりのあるさまざまな立場の人(医師・看護師・親・患者・小児がん支援にとりくんでいる人)を加えて、話し合いの場をもちました。
“小児がん患者・家族が、今、求めているものは、なんだろうか――”
すでにある支援や足りないもの、子供たちの将来や夢を支えるものまで幅広い事柄におよんで、忌憚のない議論が交わされました。
課題はたくさんあるけれど、できることからはじめよう!
早速、Fリーグの協力のもとに、「フットサルの試合へ小児がん患者、無料招待」が決まったところです。
つらい治療と闘っていたり、病気をかかえて生きていくことの難しさと向き合っていたりする子供たち。
フットサル選手の力強いプレーを観ることが、生きる力につながってくれることを願います。
さて、今年の9月に開かれた、国際オリンピック委員会(IOC)総会。
ジャック・ロゲ会長が発した「Tokyo!」の一声が、メディアをにぎわせた。
2020年の夏季オリンピック・パラリンピック(以下、オリパラ)が、東京で開催されることに決定した瞬間である。
振り返れば2007年の秋、2016年のオリパラ候補地に東京が名乗りをあげたことからはじまります。
関係者にとって五輪の東京招致は、6年越しの悲願と言えるでしょう。
私たち国民においては、賛否両論あると思います。
でも、決まったからには、世界に誇れるオリンピック・パラリンピックにしてほしい!
そんな期待を込めて、私の視点から感じる不安要素を挙げてみます。
オリンピックは健常者、パラリンピックは障害者の選手がスポーツで技術を競い合う、世界的な大会です。
選手はもちろんのこと、観客もトップアスリートを生で観ようと、世界各地から多くの人が集まってくるでしょう。
その中には、当然、さまざまな障害をもった人も含まれます。
とくに、後半のパラリンピック開催期間中は、たいへんな数の障害者が訪れるだろうと容易に想像することができます。
国境をこえて、人々を熱狂の渦に巻き込むほどの魅力をもった祭典——オリンピック・パラリンピック。
目や耳、身体など、なんらかの障害をかかえた人達にも、健常者と同じように楽しんでもらう準備は、今の日本にあるだろうか。
今から49年前。
1964年の東京オリンピック。
戦後の喪失感も薄れゆく頃、日本を立て直すための追い風になったであろうと想像します。
ふたたびオリンピック・パラリンピックが東京で開催されるとなると、資金や人材の確保など、課題が山積みでしょう。
でも、それを機に交通インフラをはじめとするさまざまな整備が、おどろくべき早さで進んだ過去があるのも事実。
すでに成熟した都市である東京。
約50年前とは違う、整備の仕方が求められていると思います。
2020年まで残された時間は、あと7年。
東京の街がどんな発展をみせるのかに期待をよせて。
「宿泊施設」と「交通インフラ」
この2つの観点で、私の体験から感じたことを書きます。

イラスト:ふくいのりこ
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