top of page

《54》 ひとつになってほしい五輪とパラリンピック

  • 樋口彩夏
  • 2014年3月19日
  • 読了時間: 5分

オリンピックとパラリンピック――。

どうして、分かれているのでしょうか?

そもそも、分ける必要はあるのでしょうか?

オリンピックの起源は、1896年、ギリシャ・アテネ。

世界的なスポーツの大会という位置づけで、はじまりました。

パラリンピックの起源は、1948年、イギリス。

ストーク・マンデビル病院で行なわれた、ストーク・マンデビル競技大会がはじまりです。

目的は、戦争で負傷した兵士たちのリハビリとして、スポーツを推賞することでした。

時が経ち、2004年、ギリシャ・アテネ。

はじまりの場所も目的もバラバラだった2つの大会が、おなじ年におなじ場所で開催されるようになりました。

その背景には、次の考え方が世界へ広まってきたことが挙げられます。

健常者も障害者も、楽しく仲良く暮らそうよ、という趣旨の、ノーマライゼーションという考え方です。

しかし、オリンピックという勝負の場に並ぶからには、きれいごとだけでは通用しません。

パラリンピックの性質に変化が生じたことが、一番の決め手と言えるでしょう。

当初の目的であった福祉・リハビリの域を脱し、立派な“スポーツ”へと変貌を遂げたのです。

陸上競技をはじめ、車椅子バスケットボールやチェアスキーなど、競技性の高いものも多くあります。

選手たちの姿は、まさにアスリート。

そこに、“障害”の陰はありません。

“健常者”がスポーツで競うのが、オリンピック。

“障害者”がスポーツで競うのが、パラリンピック。

おなじ趣旨のもとに開催されているにもかかわらず、開会式も閉会式も、それぞれの大会で独立しています。

別々の大会として行なわれている意味が、私にはわかりません。

今までの歴史を考えれば、分けるのが道理だったと思います。

でも、そろそろ1つの大会として、一緒に行なってもよいのではないでしょうか?

「パラリンピックなんて、なくしてしまえばいい」と言うと、語弊があるかもしれません。

しかし、オリンピックとパラリンピックの統合の先には、バリアフリーやユニバーサルデザインを超越した、真のノーマライゼーションという世界が広がっているように思います。

とは言え、健常者と障害者が公平に競い合うことは、いくらなんでも無理ですよね。

“生身の肉体”と“肉体+道具”では、競技をする上で対等とは言えません。

では、各競技に種目があるように、パラリンピック枠をそれぞれに組み込んでみては、どうでしょうか?

たとえば、陸上競技。

現行のオリンピック・パラリンピックそれぞれに、100メートル、200メートル……と、おなじ種目が存在しています。

パラリンピックの場合は、障害に応じたクラス分けが加わるだけ。

元々おなじ種目があるのだから、順番を前後するだけで統合の出来上がりです。

オリンピックとパラリンピックが、ひとつになってほしい——。

そう思う理由は、「分ける理由がなくなったんじゃない?」という、実にシンプルなものです。

だって、はじめは障害者のリハビリ目的だった運動が、“スポーツ”のレベルになったのですから。

もうひとつは、心情的なものです。

オリンピックに出る選手もパラリンピックに出る選手も、皆、ひとしく努力を重ねていることでしょう。

その努力に、違いや差はないはずです。

それなのに、片や大々的にとり上げられて、一躍、時の人にまではやし立てる。

一方は、メディアにも国民にも見向きもされず、関係者の目にしか留まらない。

ようやく、テレビで報道されるようになったかと思えば、一日の放送は、小一時間にまとめられたハイライトのみ。

生中継が当たり前のオリンピックとは、雲泥の差です。

運動音痴でスポーツも全然わからない私だけれど、この状況には違和感を感じずにはいられません。

おなじ人間で、おなじように世界のトップを目指して日々、努力をしている——。

そんな選手たちを思うと、悲しくなってきます。

私が障害者だから、パラリンピックを押しているのではありません。

仮に、オリンピックとパラリンピックの立場が逆でも、おなじ思いを抱くと思います。

世の中は、常に平等とは限りません。

しかし、オリンピックがスポーツにおいて世界の一大イベントとして存在しているのなら、パラリンピックも同様に扱われるべきです。

これが、世界の流れです。

オリンピックとパラリンピックの同時期・同場所開催の先は、2つの大会の統合ではないでしょうか。

私の理想論を述べましたが、そんなに簡単な話でないことは、想像に難くありません。

すこし考えただけでも、いくつもの課題が思い浮かびました。

きっと、私には想像の及ばない、さまざまな問題があるのだと思います。

でも、想像してみてください。

オリンピックとパラリンピックが、ひとつの大会に統合された姿を——。

開会式や閉会式を、晴れやかな笑顔で颯爽と歩く選手たちは、おなじ時間を刻んでいます。

そこには、歩いている選手、車椅子の選手、義足・義手の選手、白杖をもった選手。

さまざまな容姿のアスリートたちがいます。

目を閉じて、その光景を思い浮かべるだけで、顔がほころんできませんか?

「パラリンピック」という言葉は、1964年の東京大会のときに、日本のマスコミが生んだものです。

パラリンピックという名称を生んだ日本で、オリンピック・パラリンピックの新しい姿を魅せられたら——。

これほど世界に誇れるものはないように思います。

イラスト:ふくいのりこ 

Comments


ご意見、ご感想、お仕事のご依頼などは、こちらまで。

ありがとうございます!メッセージを送信しました。

  • Facebook Social Icon
  • Twitter Social Icon
  • YouTube Social  Icon
bottom of page