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  • 樋口彩夏

《110》 小児がん患者、どう支援する?日韓、方向性の違い


一昔前、小児がんは治癒率の低さから不治の病と言われていましたが、医療の進歩によって8割ほどの命が助かるようになりました。それに伴ってさまざまな問題が顕在化している側面があり、それらにどう向き合い、どう支援するかが問われています。シンポジウムに参加して、日本と韓国の患者支援における方向性の違いを感じました。

 今年4月、日本と韓国の小児がん患者や家族、医療者などが集まる交流会が韓国・釜山で開かれました。病院視察や意見交換会を通して見える両国の現状からは、多くの学びがありました。その中からシンポジウムに注目し、「患者」の発表から得た気づきを記したのが前回のコラム(http://digital.asahi.com/articles/SDI201606038383.html) でした。今回は「関係者」の発表について考察を記します。

 シンポジウムは、それぞれの立場から代表者の発表があり、下記のような登壇者で構成されていました。

 【韓国側の代表者】

 患 者:17歳で骨肉腫を発症した28歳・男性

 家 族:梁山釜山大学校病院、小児がん患者の親の会・代表

 関係者:韓国小児白血病・健康支援局長(病弱児教育関係者)

【日本側の代表者】

 患 者:14歳でユーイング肉腫を発症した26歳・女性(←私のことです)

 家 族:久留米大学病院、小児がん患者の親の会(木曜会)の女性

 関係者:(公財)がんの子どもを守る会・ソーシャルワーカー

 両国「関係者」が発表した内容の要点は、次のようなものです。

 日 本:治療が終わっても適切な医療を→フォローアップの充実

 韓 国:社会的に自立できる支援を→病弱児教育の充実

 医療面でもフォローアップを重視した日本と、患者の自立に重きを置いている韓国。各国の支援事情においてホットなものが取り上げられていると考えると、この違いは実に興味深いと思います。

 では、小児がん患者には、どのような支援が必要なのでしょうか。

 そこで、小児がんとは、子供が発症するさまざまながんを総称する言葉です。白血病に代表される血液のがんもあれば、神経や骨、筋肉にできるもの、腎臓や脳などの臓器にできるものまで、幅広い「がん」が存在しています。発症する年齢も違えば、病気の種類もさまざまなので、そこから派生する問題も多岐にわたります。

小児がん患者が直面する問題を大別すると、「医療的なこと」と「社会的なこと」の2つに分けられるでしょう。

 ■医療的なこと

 ・原疾患の経過観察

 →治療が終わったとしても、それで病気が完全に治るわけではありません。再発や転移の可能性がある間は定期的に検査等を行い、経過を観察する必要があります。

 ・後遺症のケア

 →幼少期に抗がん剤や放射線治療・手術など、厳しい治療を行っている身体は、たくさんのダメージを受けています。免疫力低下、心臓や腎臓の機能障害、身長が伸びないなどの成長障害、生殖機能障害、挙げればきりがありません。

 ・二次がん、晩期合併症

 →治療後、何年何十年と経ってから症状が出てくる障害を晩期合併症と言い、それが「がん」であれば二次がんとなります。これらは大人・小児を問わず、がん治療の副作用として共通するものですが、大人の場合はあまり問題にはなりません。なぜなら、その症状が出る前に寿命を迎えてしまうこともあるからです。それに対して、小児がんの場合は、発病が早い分、治療後の人生も長いので、確実にそのリスクにさらされるというわけです。

 ■社会的なこと

 ・就学、復学

 →小児がん患者が復学するとき、とても勇気がいるものです。勉強についていけるだろうか・・・。ひさしぶりすぎて友達の輪に入れないかもしれない・・・。体調を崩さずに通えるかな・・・。など、学校に戻れる嬉しさと不安が入り混じった心境でいるはずです。

 ①長期療養による学業欠損

 学校を長いあいだ休んでいるので勉強に遅れが生じ、授業についていけません。

 ②慢性的な虚弱と身体活動の制限

 治療によって体力や免疫力が低下しているため、通常の時間割をこなせないことも多くあります。また、通院による欠席が増えると出席日数が足りなくなるという話も耳にしました。

 ③留年や浪人による疎外感

 入院の時期や期間によっては、それらがやむを得ないこともあります。けれども、同級生が進学していく中、ひとり取り残されることで、学校へ行くことや進学する意欲の低下につながります。

 ・学び続けられる環境、仕組み

 →私は高校へ進学したものの在学中に晩期合併症が出て、治療のため休学することになりました。しかし、休学が一定の期間に達すると自動的に退学となる規則があったために、戻る場所を失ったのです。学校へ戻ることが支えだっただけに、やるせない思いになりました。一般的な就学レールからそれたときに、また戻って来られる仕組みが必要です。

 ・就職

 →まずは、後遺症などによって、就ける仕事に制約が生じる場合があります。そして、採用試験で病気のことを伝えるかどうかも悩みどころです。それを言ったことによって状況が悪くなることも多く、病気を隠して就職している人も少なくないようです。しかし、長く勤めることを考えると、きちんと伝え、理解してもらうことが重要だと思います。

 ・恋愛、結婚、出産

 →病気を引け目に感じ、なかなか恋愛へ踏み切れないという声をよく耳にします。結婚となれば、当人だけの問題でもありません。出産まで考えると、既往歴が孫に悪影響を及ぼすのでは? と親世代の偏見に悩んでいる方もいるようです。また、治療の後遺症で子供を授かれない場合もあります。そのことを受け入れるというのは、容易なことではありません。

 今までは治療成績が芳しくなかったがゆえに命が助からないことも多く、これらの問題に直面するケースは「少数派」でした。しかし、これからは、この諸問題と向き合いながら生きている小児がん患者たちを支えていく必要があります。

 このとき、「医療面」と「社会面」、両方の支援があってはじめて、患者の自立の道が見えてくるのです。体調が整っていても、学ぶ・働く環境がなければ社会参加が阻まれます。逆に、社会の受け皿は万全でも、病状がコントロールできていなければ意味がありません。どちらが欠けてもいけない表裏一体の関係にあると言えます。

 それを踏まえて日韓の発表について考えると、力を入れている分野が違う背景には何があるのでしょうか。

 日頃から小児がん患者の当事者として患者会や親の会と交流がある中で、日本の場合、患者に対して過保護になってしまいがちな傾向があるように思います。患者も発病時は子供でも、いつかは大人になっていきます。治療を終えた先の人生を歩んでいくのは、だれでもない患者本人に他なりません。そして、親が先に死んでしまうのも避けられないことでしょう。そんな当たり前の事実があるにも関わらず、どうしても過保護になってしまう・・・。患者の自立を考えるより、守ることに意識が向いている、そんな印象を受けます。

 一方、シンポジウムで見聞きした韓国の方の発言は、過保護とは対照的なものでした。小児がんの治療を終えた人のことを、韓国では「完治者」と言うそうです。そして、「困難に打ち勝った者」というポジティブな意味合いで使われているような印象を受けました。また、患者の親御さんからは、「本人がひとりで生きていけるように」、「社会に出て困らないように」、「自立できるように」といったフレーズが頻繁に出てきました。患者の周りにいる大人たちの意識の根底には、「本人が社会で自立できるようになるための支援をする」という発想があるように感じます。

 韓国「関係者」の発表は、「学校教育から疎外された青少年の自立と成長支援」ということで、病弱児教育の充実を図る内容でした。ソウル市などが援助をする形で、病弱児に特化した学校が今年から設立されたという話でした。患者の自立を見据えた意識が根付いている韓国だからこそ、こうした支援へ発展しているのでしょう。

 小児がん患者の支援を考えるとき、「医療面」と「社会面」のどちらも重要であるということは、両国の共通認識です。その上で生じている方向性の違いは、こうした病気の捉え方に影響を受けているのかもしれません。小児がんの生存率が向上して時が経ち、さまざまな問題が見えはじめたのが昨今です。支援の在り方も、まだまだ模索中と言えるでしょう。小児がんを経験した人が、病気とうまく付き合いながら積極的に社会生活を営むためには、患者本人の努力と合わせて、社会の理解と協力が不可欠なのだろうと思います。

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