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《50》 まず、心のバリアフリーが必要だと思う

  • 樋口彩夏
  • 2014年2月12日
  • 読了時間: 4分

車いすに乗っている私がひとりで駅の改札へ行くと、「介助するのが常」という対応を受けます。

それは、健常者の連れがいても、同じ場合がほとんどです。

車いすユーザーになりたての頃は、なにも疑問に思うことなく、ありがたく恩を受けていました。

やがて時が経ち、車いす操作も板についてくると、ひとりで出来るもん!という自尊心から、介助を断るようになりました。

でも、それを良しとしない駅員さんが大半を占めていたのです。

高校生だった私が頼りなく見えたのか、危なっかしかったのかもしれません。

出来ることをさせてもらえないことに納得ができなかった私は、駅員さんへ率直な疑問をぶつけてみました。

返ってきた答えは、次のとおりです。

「介助のいらない人を、ひとりで行かせてあげたい、行ってほしいのは山々なんだ。

でも、もし事故が起きでもしたら……と考えると、会社としての責任が問われてしまう。

君の気持ちは分かるけれど、むずかしい問題でね……」

介助不要の申し出を断られるたびに、おなじ質問をくり返すも、9割方は同様の返答でした。

幾人もの駅員さんが抱える、やるせない想いに触れた私は、それを汲むようになりました。

1周まわって、また、ありがたく介助を受けるようになったのです。

でも、“やっぱり、おかしいよ”という思いは、拭えません。

「障害者にたいして、過保護すぎるのでは?」というのが、正直なところです。

今回の件については、鉄道会社の事故に対するリスク管理、という側面があることを頭では理解しています。

しかし、日本人の根底にある、障害者に対する観念が、問題の根源なのではないでしょうか?

“障害者=ひとりでは何もできない=何かしてあげないといけない存在”

そんな気持ちが無意識のうちに、言動へあらわれている気がします。

手伝ってあげる、守ってあげる——。

その発想は、優しさから来ているのかもしれません。

しかし、手伝ってもらわないと成り立たない生活は、障害者にとって幸せなものと言えるでしょうか。

何かをしてあげるのは、簡単なことです。

けれども、障害者自身で事が完結するような環境であることこそが、本当の優しさだと思います。

でも、その優しさを、きびしく感じる障害者もいるかもしれません。

手伝ってもらうのが、当たり前――。

そうやって障害に甘えている障害者が少なからずいることも、悲しいかな事実なのです。

ひと昔前の障害を隠して生きざるを得ない環境や、出来ていたことが出来なくなる喪失感から自尊心をも失ってしまう……。

そんなことを想像すると、無理もない気がしてきます。

障害者の一部に見える甘えた姿勢も、きっと本心から来るものではないでしょう。

「障害があろうとなかろうと、できることは自分でする!」

健常者にも障害者にも、このことが頭にあれば、障害という壁を前にギクシャクすることなく、フラットな関係が築けるのではないでしょうか。

それでも、努力では超えられない障害があります。

電動車いすに乗っている場合や、電車とホームの隙間・段差が大きい駅などでは、どうしてもスロープが必要なこともあるでしょう。

そんなときは、駅員さんの出番です。

でも、大半は、車いすで電車に乗るときのサポートなんて、ひょいっと、ひと押しするだけです。

人によっては、手を出さずに見守るだけで済んでしまうことだってあるくらい。

30分も待って、わざわざ駅員さんに頼むほどのことではありません。

高齢者や妊婦さんが立っていたら、席をゆずりませんか?

その行動は、なにも崇高なものではなく、ごく自然なものだと思います。

それと同じように、車いすの人が電車に乗ろうとしていたら、ちょっと気にかける。それだけでいいのではないでしょうか。

一歩踏み出して、「お手伝いすることは、ありますか?」と、一声かけるのも良いかもしれません。

困っていたら、なにかをお願いするだろうし、困っていなければ、「大丈夫です、ありがとう」となるでしょう。

「困ったときは、お互いさま」と自然に手を差しのべ合える、あたたかい社会が私の理想です。

そして、もし手伝いが必要なら、それは障害者自身が工夫をするべきです。

だれかが声をかけてくれるのを待つのではなく、「手伝って」と自分から言ってみましょう。

言わなきゃ伝わらないことって、たくさんあります。

それは、だれが悪いわけでもなく、経験のないことが分からないのは、当たり前。

健常者には理解してもらえない、と卑屈になる前に、「こうなんだ」と伝えてみたら、あっさり受け入れてもらえるかもしれません。

健常者・障害者、双方が歩み寄る――。

バリアフリーな設備がなくても、心の持ちようで超えられるものはたくさんあるはずです。

障害者が電車に乗ること、街にいることは、特別なことではありません。

“いろいろな人がいて当然”、“お互いさま”のように、心のバリアフリーからはじめませんか?

イラスト:ふくいのりこ  

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