《68》 「車いすで踏切を渡る怖さ」
- 樋口彩夏
- 2014年7月15日
- 読了時間: 4分
私はできることなら、踏切を通りたくありません。
車いすのタイヤが線路にはまって動けなくなるという、怖い思い出があるからです。
その日は、梅雨のまっただ中でした。
当時、手でこぐ自転車・ハイドバイクの練習へ行くのを楽しみにしていた私は、
月に1度、45分の移動を苦ともせず、電車へ乗って出かけていきました。
正直に言えば、ハンドバイクは二の次。
もっぱらの目的は、おなじ境遇にある、車いすのお兄さんやおじさま方とおしゃべりをすることでした。
私にとって、両下肢麻痺特有の悩みを打ち明けられる唯一の場が、そこだったのです。
目的地までは、自宅の最寄り駅から急行電車で8駅を30分、そこから先は車いすをこいで15分という道のりです。
あえて難所を挙げるとしたら、踏切の横断でしょうか。
厄介なのが、レールの溝です。
このレールの溝に車いすの前輪(小さい方のタイヤ)がはまらないように、
前輪を浮かせたまま後輪だけで前に進まなければならないのです(以下:ウィリー)。
そうは言っても、自分で車いすをこぐ場合、ウィリーは必修のテクニックでもあります。 当時の私にとって踏切は、「ひゅひゅっとウィリーして渡ればOK~♪」、それくらいの認識でしかありませんでした。
しかし、踏切事故が後を絶たない現状を鑑みると、車いす使用者にとって踏切は立派な難所と言えるでしょう。
電車を降りて踏切を渡ろうとしたとき、天気予報のとおり小雨が降っていました。
車いすの操作で両手がふさがることから、私は傘を持ち歩きません。
「このくらい、雨のうちに入らないさ?♪」と、踏切を渡りはじめました。
2本ある線路のうち、最初の1本は2回のウィリーで難なくクリア。
2本目にさしかかったとき、雨に濡れたハンドリム(車いすをこぐところ)から手がすべって、ウィリー失敗。 前輪がレールの溝にはまって、身動きがとれなくなってしまいました。
その直後に聞こえてきたのは、けたたましい警戒音。カンカンカンカン……。
見る見るうちに、遮断機も降りていきました。 踏切内に閉じ込められた私の目には、ずんずんと迫ってくる電車が映っています。
危機的状況にも関わらず、頭をよぎったことは妙に冷静でした。
「この電車が普通もしくは急行ならセーフ、特急ならアウト。そうなったら遅延、賠償金はいくらになるのだろうか……。」
そんなことを考えていると、踏切の向こうから中年女性の声がしました。
「そのままじっとしとかんね。電車止めちゃるけん!」 踏切脇に設置されている緊急停止ボタンが押されたのと同じくして、電車はホームで停まりました。
運良く、その電車は「急行」だったのです。 運転手さんと駅員さんがこちらへ駆け寄ってくるのを確認した私は、とりあえず踏切から出ることにしました。
改めてウィリーして溝を脱出し、降りたままの遮断機の下をくぐります。
緊急停止装置は解除され、電車は何事もなかったかのように発進し、その場は事なきを得ました。
私の中には、踏切に対する恐怖心が残っています。
これを書こうと思ったのも、つい先日、自動車で踏切を通ったとき、真っ先にわいてきたのが「怖い」という感情だったからです。
新聞やニュースに見る踏切事故の中でも、車いす関連のものがよく目に留まるようになりました。
「車いすの男性、踏切内で立ち往生。列車にはねられ死亡。」
「電動車いすの女性死亡、踏切を渡りきれず。」
一歩間違えば、私も同じような事故になったかと思うと、ぞっとします。
刻々と迫りくる電車を前に、逃げることも助けを求めることもできず、恐怖に苛まれながら亡くなっていった人々を思うと、胸が痛みます。
私が経験した出来事は、踏切と車いすの物理的な相性の悪さに、気の緩みが加わって招いたことです。
細心の注意を払っていれば、防げたことかもしれません。
けれど、これが車いすの関連した踏切事故すべてに通ずるかと言えば、それは間違いです。 警戒音の鳴る時間が短く車いすで渡りきれないなど、当人ではどうしようもない事情を抱える踏切も存在しているのが現状です。
これ以上、悲しい事故が起こりませんように。そう切に願います。

イラスト:ふくいのりこ
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