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《75》 新しい相棒を得て、もう一度、前を向く

  • 樋口彩夏
  • 2014年10月24日
  • 読了時間: 4分

ベッド上で安静の入院を終えて退院した私は、ひきつづき自宅療養となりました。

安静時の痛みは治まったけれど、座ったときの痛みは相変わらず、つづいています。

まずは日常や仕事へ復帰するため、座れる時間を徐々に増やしていかなければなりません。

また、どのくらい休めば再び座れるようになるのか、腰の回復に要する時間も把握する必要があります。

この自宅療養は、座位→臥位→座位→臥位をくり返し、腰の限界と安全ラインを見極める時間になりそうです。

それにしても、困りました。

8月末に判明した仙腸関節の骨折は、小児がんの「晩期合併症」です。

ぼやっとした小骨折とはいえ、座位にともなう痛みは、日常生活に支障をきたしています。

身体の中心に位置し荷重を避けられない仙骨なので、仕方のないことではあるけれど、つづけて座っていられる時間がたったの2時間では、何をするにも話になりません。

車いすをこぐ動作も腰に響くので自走もままならず、動くことさえ億劫になってしまうのが現状です。

ここ1年半、座っている時間が増えたとは言え、ごく普通の生活を送っていました。

ただ座っているだけで骨折するようでは、先が思いやられます。

体調の回復によって一時は解消されていた「移動に関する劣等感」が、今回の骨折を機によみがえってきました。

さらに、重粒子線を照射した仙骨は、副作用によって骨の再生機能をも失っており、もう元には戻らないのです。

折れたまま生活するとなれば、今の状況に折り合いをつけた新しい生活を考えなければなりません。

そのためには、次の懸念をクリアにする必要がありそうです。

 ・車いすをこぐ動作の積み重ねで起こると予測できる、仙骨の骨折

 ・痛みと予後の不安からくる、自走に制限をかける気持ち

「仙骨の寿命=100−(座位の負担+自走の負担)」と仮定しましょう。

単純に考えると( )内の値が小さいほど、仙骨にやさしい生活となるはずです。

“座ること”と“車いすをこぐこと”。

日常に照らし合わせたとき、どちらを削るほうが生活の豊かさを保っていられるかを考えてみました。

“座ること”は、日常のあらゆる場面で要求されます。

両下肢麻痺であれば、座れる時間は活動のできる時間と等しく、長いに越したことはありません。

“車いすをこぐこと”については、それをくり返すことで、再び骨折をすることが目に見えています。

一度折れたら元には戻らないし、骨のもろさ故に外科的な補強もできず、仙骨がボロボロになることは必至です。

骨折が積み重なることは、座ることができなくなるばかりか、寝たきりの生活を意味しているのです。

1年半で2カ所折れたことを鑑みても、自走をつづけることが困難なのは明らかでしょう。

ほかに選択の余地はなく、電動車いすが必要になりました。

自走から電動になることに抵抗はあるけれど、車いすをこいだら骨が折れるのだから仕方のないことです

そうは言っても、まだ25歳。

平均寿命まで生きると仮定しても、長い道のりが残されています。

仕事にも復帰したいし、まだまだやりたいことがたくさんあります。

“私には目標がある!”

それに向かって歩きはじめたばかりなのに、寝たきりになる訳にはいきません。

電動車いす製作を皮切りに、さまざまな準備をはじめました。

たとえば、車いすを自動車へ積むためのリフトの改良。

車いすが手動から電動になることで10kgから30kgへ、重量が大幅に増えることになります。

現在、リフトの耐荷重は約20kg、少々、力が不足しています。

新しい相棒となる電動車いすを持ち上げるためには、モーターの強化が必要となりました。

つい先日まで落ち込んでいた私は、今、再び前を向いています。

骨折してから、ベッド上での安静で未来を見失っていたけれど、「電動車いす」という手段があることは大きな希望です。

小難しいけど長い付き合いになるこの身体、新しい生活のカタチを確立するべく試行錯誤してみます。

イラスト:ふくいのりこ 

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