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  • 樋口彩夏

《111》 車いすでの移動、「寺院観光」で一波乱


 今年4月に参加した小児がん関係者たちの日韓交流は、韓国・釜山で行われました。前回・前々回のコラムではシンポジウムの発表や学んだことなど、真面目な内容がつづきましたが、実はハプニング満載の珍道中だったのです。

 ■観光名所で「どうしよう」

 一行は約100名の大所帯ですが、歩けないのは私だけでした。さまざまな場面で配慮はしてくれるけれども、基本的には歩ける人を基準にした旅程が組まれるわけです。

 観光の時間に私たちが訪れたのは、新羅時代に都として栄えた慶州という街にある「仏国寺」というお寺でした。総面積12万坪という広大な敷地には、いくつもの国宝が点在しています。

 しかし、そこは、車いすの私にとってバリアフルな場所でした。旅程が書かれたしおりを見たときから波乱の予感がしていましたが、予想に違わず現実のものとなりました。もはや寺院を観覧するという目的は忘れ去られ、「この難関コースをいかにクリアするか」が目下の課題となっていくようでした。

 多くの難所がある中でもっとも過酷だったのは、コース終盤にあった急な下り坂です。しかも、路面は凹凸が激しい石畳というダブルパンチでした。坂の終わりが見えないほど長くつづいている坂道は、見ているだけで眩暈(めまい)がしてくるようです。このとき、車いすの介助では後ろ向きでゆっくりと下りるのが定石ですが、凹凸も大きく距離も長いので、私の骨盤や介助者に負担がかかりすぎてしまいます。

 そこで、私たちがとった方法は、"抱っこして下りる"でした。路面からの振動が伝わらないように車いすと私を分けて運ぶため、だれも乗っていない車いすをTくんが押して、SさんとIくん(皆、日本の小児がん仲間)が私を両側から抱え上げるような形で運ぶことになりました。いわば、お姫様抱っこの強化版のような感じです。たくさんの観光客が歩く中を、えっさ、えっさと運ぶ様子は端から見ると風変わりな光景だったかもしれません。しばらく進んでは、車いすに降ろして少し休憩、抱え直してまた進む、この繰り返しでようやく坂を下りきることができました。

 一番疲れたのは他でもなく、ずっと抱えてくれた2人ですが、一生懸命2人に掴まっていた私も腕がパンパンです。下に着いて車いすに座った瞬間、力尽き、放心状態でした。けれども、無事にゴールを迎えられたことに安堵したのは言うまでもありません。

 このような歴史的建造物にバリアフリーを求めるのには限界があります。しかし、車いすで行くことを諦める必要はなく、工夫次第では楽しむこともできるのではないでしょうか。今回のエピソードは極端だけれど、そういう心持ちでいることが興味の範囲を広げてくれるように思います。

 ■思いがけず・・

 また、車いすの私にとって、乗降時に階段のある大型バスは「試練」とも言えます。けれども、9年目を迎えた本交流会では力持ちの日本人男性・Sさんがお姫様抱っこで運んでくれるのがお決まりのパターンなので、すっかり安心しきっていました。

 空港に着くと、これから私たちが乗る大型バス2台が出迎えていました。

 さりげなくSさんを目で追っていると、なんだか忙しそう。。。

 私は重大なことを思い出してしまったのです。Sさんは、みんなより早く目的地に着かなければならない用事があったため、別の車で移動することになっていました。

 「抱えてもらえなかったら、どうしよう・・・。」

 ぼんやりとそんなことを考えていると、だれかが身体に触れてきました。と同時に韓国語が降りかかってきます。黒髪のロングヘアーをひとつに束ねた中年男性(韓国側の参加者)が、私を抱え上げようとしているところでした。

 「チャッカンマン! (ちょっと待って!)」

 思わず口をついて出たのは、そんな言葉でした。移動を手伝ってあげたいという親切心から来る行動なのは理解していても、骨盤がもろく折れやすい私は、警戒度マックス! 身振り手振りで、抱えてもらう準備ができていないことを伝えます。

 すると、「私=こわれもの注意」の事情を知っているSさんが、慌てて駆け寄ってきました。Sさんから黒髪ロングの韓流おじさんへ向けられたのは、「僕が抱える。」というアイコンタクト。私は無事にバスへ乗り込むことができました。

 実はこの場面、本交流会では毎年何度か起こる「あるあるシーン」。みんなが快く移動を手伝ってくれることに感謝、感謝です。

 裏話をすると、先の「黒髪ロングの韓流おじさん」が、髪を伸ばしつづけているのには深い理由がありました。

 「ヘアドネーション」

 髪を寄付する活動です。善意によって集められた髪は医療用ウィッグへと加工され、小児がんをはじめとした病気などによって髪を失った子どもたちのもとへ届けられます。

 彼が髪を長く長く伸ばしていたのも、これが目的でした。小児がん患者の父親でもある彼は、お子さんが治療によって髪の抜ける姿を近くで見ていたはずです。そんな我が子の姿に心を痛めていたことでしょう。個性的な髪型の裏には、子どもたちを想う愛があったのでした。

  ◇               ◇

 小児がんに携わる人たちが2泊3日で交流を深める機会でしたが、時間以上に濃密なときを過ごせたように思います。真面目なシンポジウムから得られる学びや、食事をしながらの語り合いから生まれる絆は、回を重ねるたびに深まっているのではないでしょうか。小児がんという共通の背景があるからこそ理解し合えるものがあるということを、あらためて実感することができました。(アピタル・樋口彩夏)

イラスト:ふくいのりこ

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