《49》 車いすと駅と「ひとりで大丈夫です!」宣言
- 樋口彩夏
- 2014年2月4日
- 読了時間: 3分
今度は、交通インフラについて考えてみようと思います。
昨年12月、東京駅から電車に乗って、築地にある朝日新聞社へ行こうとしたときのことです。
車いすで電車に乗ろうとすると、《6》に書いたように、駅員さんがスロープをもって乗り降りを手伝ってくださいます。
“駅員さんが手配されるまでの待ち時間は、大きな駅になるほど長い。”
駅の利用者が多い分、車いすユーザーも多いのですね。
そのことは、今までの経験から承知の上、時間に余裕をみて行動をしていました。
手伝っていただけることは、とても有り難いことです。
しかし、この時は、さすがに長過ぎました。
比較的、気の長い私でも、先の予定に相手があることだし、30分以上も待たされれば、もぉ〜!と思ってしまいます。
待っている間、何度、ひとりで行こうとしたことか。
でも、この「ひとりで大丈夫です!」宣言。
健常者の場合、宣言するまでもなく当たり前のことでしょう。
それを、こと車いすユーザーが言うとなると、一悶着おこるのです。
“安全・安定な運行をおこなうためのリスク管理”
鉄道会社は、安全にかつ安定した鉄道の運行をお客様に提供できるよう、さまざまな工夫を図っていることと思います。
私が電車を利用する際に乗り降りを手伝ってくださるのも、その中のひとつです。
これから整備されていくのかもしれないけれど、とくにホームには危険がいっぱい。
私がどれだけの自信をもって「ひとりで大丈夫です!」と言ったとしても、駅員さんという立場上、おいそれと聞き入れることはできないでしょう。
駅や、対応する駅員さんによっては、「大丈夫なら、いいよ。」となる場合もあります。
でも、「ひとりで大丈夫です!」の先には、万が一でも事故があってはならないと、私は思うのです。
もしもの場合、ひとりで平気と判断した障害者本人の自己責任と言ってしまうこともできるでしょう。
しかし、事によっては電車の遅延など、まわりをも巻き込みかねません。
往々にして、鉄道会社の責任が問われてしまいます。
そんな現状をふまえると、私たちが“待つ”あるいは“工夫をする”ことも、致し方ないのかなぁとも思います。
とはいえ、平常時で30分の待ち時間。
これを、仕方ないで済ませていいのでしょうか。
6年後の2020年には、東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。
そのときには、たくさんの障害者も訪れることでしょう。
今以上の混雑が予想される中、車いすユーザー毎に駅員さんが介助をしていたら……
駅員さんを総動員しても手が足りなくなることは、目に見えています。
オリンピック・パラリンピックの期間限定で、介助役を増やすのも、ひとつの方法かもしれません。
でも、それでは根本的な解決にはならないのです。
“障害者=ひとりでは何もできない=何かしてあげないといけない存在”
そもそも、この図式が成り立っていることが問題のように思います。
たしかに、手伝いを必要とする障害者もいます。
しかし、「障害者」とひとくくりにして、本人ができることまで手伝う必要はあるのでしょうか?
私は、乗ろうと思えば、ひとりで電車に乗ることができます。
それと同時に「ひとりで大丈夫です!」を容認できない鉄道会社の姿があります。
その背景を、障害者が交通機関を利用するにあたっての課題として、ソフト面とハード面の2つに絞って考えてみたいと思います。
・障害者と接するときの心持ち
・駅などの設備について

イラスト:ふくいのりこ
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